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津内山
檀紙地区の中央にある標高58メートルの小山。太古、この地は、香西より海水が湾入し、この山は、海辺にあり津の内にあるのでこの名前が付いたといわれています(一説には船を繋いでいたので「つなぎ山」ともいった)。山頂には、龍王神社があり、明治40年頃までは玉奪い行事、また昭和初期までは夏祭りやにわか芝居などでにぎわっていました。なお、以前は、この山から取れる白土で、御厩焼きづくりを行っていました。現在は、津内山整備推進保存会の人々によって整備されています。 |
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小比賀邸
国指定の重要文化財の小比賀邸は、江戸時代初期に建てられ、約400年を経ています。小比賀家の先祖は、甲斐源氏の武田家より分家したものと伝えられ、慶長年間に、この地に移り庄屋を勤めたこともあります。文化財に指定されている住宅の敷地は、約1400坪で、主屋・土蔵・米蔵など古い建物が残されています。長屋門の長さは36メートルもあり、3頭分の厩舎、4頭分の牛舎もあります。屋根は茅葺きで約30トンの茅が使われています。 |
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紙漉池
今から1000年くらい昔の延喜式の頃より、檀紙町紙漉地区では檀の樹皮を原料にして檀紙という良質の紙を生産し、これを「調」として朝廷に貢いでいました。慶長年間に至って原料不足のためとぎれてしまいました。檀紙という村名はこれから生まれたのです。その紙を漉き洗いしたのがこの池です。
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疣神(いぼがみ)さん
疣神さんという平石は、表面にくぼみがたくさんあり、でこぼこしています。ここに溜まった水をお題目を唱えながら自分にできた疣につけると、疣はあとかたもなく消えてなくなるという言い伝えがあります。現在でも、毎日数名の人が御利益を期待して訪れています。
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御厩の天神さんと前方後円墳
徳川綱吉の頃、天神さんのお姿を当時の有名な彫刻師につくらせ、これをご神体として社殿を建てたのが始まりです。この社殿は、約700平方メートルの前方後円墳の上に建立されています。この前方後円墳は、高松市南部にはこれだけしかなく、文化財の一つに認められていますが、未発掘です。
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大塚古墳
御厩町佐古地区にあります。これは,紀元6世紀ごろに作られた地方の豪族の墳墓だと言われています。形態上からみた分類では,円墳(俗に丸塚という)に属する横穴式古墳であって,平地にある古墳としては珍しいものの1つです。 |